一冊の数学書

一冊の数学書

太刀川 弘幸(数学系 名誉教授)

 

私は不図、四畳半の勉強部屋にある木枠の本箱から一冊の本を引き出した。
そして表紙を開いた次の頁に籏智という印鑑の押してあるのに気付いた。

数学書の表紙

終戦の年であったか、或いはその一年前であったか....?
当時、孝康兄は一橋の工業高校の先生をしていた。勤務後、神田にある「考え方社」主催の高等数学に関する講習会に出席していた。

ある晩、講習会から帰宅した兄は一冊の本を示した。 その講習会で隣に机を並べて聴講している親しいひとりの人が『今はとても難しくて読めない、将来機会があれば読んでみたいと思って買って置いた本だが、先日招集令状がきたのでその可能性も失われた。君に献上するから利用してくれたまえ』と言って、渡して呉れたのだという。その人の名字が籏智であった。

立派な装幀の正田健次郎著「抽象代数学」(岩波書店)であった。
私は多少数学に自信のある高校生であったが、ドイツ文字やギリシャ文字の混じった数学書には歯が立たなかった。

その後、私は高等師範学校に進学した。佐藤良一郎先生と森田紀一先生が担任であった。
卒業ゼミは森田先生に付き、高木貞治著「初等整数論講義」を読んだ。
然し私は「初等整数講義」を殆ど咀嚼できないまま卒業することになった。

教育者になるよりも、勉学を志して大学に進学した。大学での担任も森田先生であった。

4年間の高等師範在学中にも「抽象代数学」は手付かず、玄関脇の本箱の中にあった。
大学の入学が確定してから、漸く私はこの難解な書物を読み始めた。群の同型定理はさておき、作用団を持つ群、理想分解、などなど、とても抽象的でこれまで読んだり、理解した数学とは一味違う数学であると思われた。読み進むうち、私は Wedderburn の単純環の構造定理のところでちょっと確かめてみたい事柄に行き当たった。単純環の元の乗法 が行列の乗法に対応していることを確かめたかった。

そこで私は高等師範のゼミの指導教官であった森田先生に教えて戴こうと思いついた。
私は母の用意してくれたお土産をもって、夏休み前の一日、常盤台に近いお宅に伺った。
先生はご在宅で直ぐ畳の部屋に通された。その時、先生は色々なお話をして下さった。お話の中に父君が厳格で食事の折、横に置く箸の位置が 3cm でも違うと注意されたというくだりがあった。たしか先生はそうゆうことにこだわりたくないという意見のようだったので私はほっとした。
いよいよ Wedderburn の定理の質問に入ると先生は van der Waerden の Moderne Algebra を持ち出して説明を始めた。説明を伺って私がどんな返事をしていたのか記憶が無い。然し、数日して先生からお葉書を戴いた。はがきの殆ど一面に私の質問の証明が書かれていた。

これが私の先生から戴いた最初の文書である。此処に添付しよう。

森田先生からの葉書

同時に、私に一生代数学を専攻する契機を与えた一冊の本、何度も読み明かしたため表紙もとれてしまった「抽象代数学」の姿をここにとどめておきたい。

「抽象代数学」表紙全景

追記:この文書作成後、これも全く偶然同じ本箱の中に窪田忠彦著「初等微分幾何学」(岩波全書)を見付けた。岩波全書の中、掛谷宗一著「微分学」「積分学」、 吉田洋一著「関数論」を読んだことは記憶している。然し微分幾何学の本は読んだことはないと思いつつ、数頁開いてみると一枚の折りたたまれた孝康兄の俸給支払表が出てきた。そしてその俸給表に一枚の名刺が挟まれていた。驚いた事にその名刺は籏智氏のものであった。

籏智氏の名前は勇であることが分かった。 又、日本発送電株式会社水力試験所に勤めておられたことが分かった。
名刺の出現により、今、私は私と兄、兄と籏智氏という因縁の糸を感じている。

出征後の氏の消息は分からない。無事で帰還していてくれればよいと思っている。
もしこの文書を読んで何らかの情報をもたらしてくれる方が有れば有難いと思っている。

いずれにせよ兄が寄贈を受けたこの一冊の本により、素晴らしい代数の諸理論、例えばガロアー理論、多元環の因子団の理論等々を学ぶことが出来た私は、籏智氏に深く感謝しなければならないと思っている。

(写真はいずれも筆者提供)