木村 達雄 数学系教授(当時)
初出: 筑波フォーラム 45, 104-107, 1996年11月 (筑波フォーラム編集室了承済)
1.研究室の様子
私の研究室は代数学,とくに代数幾何学,代数的整数論(及び代数解析学)などの研究をしていますが,特に概均質ベクトル空間の研究者が育っています。
大学院生たちの人数が多いので,上の者は下の者を指導し,同じレベルの者は互いに教え合うという原則でやっています。また頭脳も体の一部という考えから体力をつけるよう注意しています。数学の才能の開き方は人それぞれ実に異なるので,才能とか素質については余り言わず,ねばり強い努力を勧めています。
数学の内容そのものを一般にわかりやすく説明するのは大変難しいので,ここでは研究室で学生や院生を指導する時の考え方のもとになった数学に関する私の経験などを述べてみます。
2. 数学は体力だ(ヴェイユの言葉)
一般に世間では数学者というと,青白い顔をして,やせ細った弱々しい体で,頭脳ばかりを使っているというイメージをもつ人が多いようです。特に日本ではその傾向があるようですが,私が外国で会った一流の数学者たちは,みな相当な体力の持ち主ばかりでした。
かつてアメリカのプリンストン高等学術研究所に滞在中,今は亡き久賀道郎先生は,私に「数学は体力だよ」と言って次のような話をして下さいました。
1955年の秋に日光で代数的整数論の国際シンポジウムが開かれたとき,久賀先生たちは来日したヴェイユ(シモーヌ・ヴェイユの兄で日本の数学に多大な影響を与えた大数学者,当時50才)やセ一ル(26才で小平邦彦先生と共にフィールズ賞を受賞。当時30才位)を中禅寺湖へ案内した。ところがヴェイユは裸になって湖に飛び込み,泳ぎ出した。セールもそのあとに続いた。負けてなるかと何人かの日本人数学者たちも続いて飛び込んたが,余りの水の冷たさに驚いてすぐ上がってしまった。やがて湖から上がってきたヴェイユとセールは今度は走り出した。日本人数学者たちは「陸の上なら我々も出来る」とばかり,二人のあとに続いて走り出したが,すぐ息切れして走れなくなってしまった。そのうちヴェイユが戻ってきて休んでいる久賀先生を見て二ヤッと笑って「数学は体力だ」と,言ったというのです。
3.数学は体力だ(その2,パリの興奮)
数学と体力については,もう一つ印象に残ってる話があります。あるときパリの喫茶店でコーヒーを飲んでいたら,そこへ若い日本人数学者が6人,興奮しながらやってきて「数学は一に体力,二に体力,三,四なくて五に体力だ」と口々に話していました。全員,ルレイ先生の講義を聞いてきた直後で,70才になるルレイが熊のようにノシノシと教壇を行ったり来たりしながら,すごい迫力で講義する姿に,すっかり感動して,つくづく数学は体力だと思ったそうです。
4.勉強と研究の違い(研究の波動)
大学3年の時に,佐藤幹夫先生(佐藤超関数や概均質ベクトル空間の理論の創始者)の集中講義に出た事がありました。自分の考えた理論を生き生きと説明していく講義にすっかり魅了されてしまいました。内容は難しくて良く分からないのに,何かワクワクするものを感じるのです。このとき,数学は分からなくても感動することがあるのだ,と知りました。のちに大学院の修士1年になったとき私は武術に夢中になり,真剣を使って戦いの集中力や持続力の稽古に没頭してしまいましたが,修士論文を1年後に提出しなければならなくなった頃,京都大学に佐藤幹夫先生を訪ねました。ニコニコしながらコーヒーを入れて下さった先生は「どんな研究をしていますか?」と尋ねられたので「実は武術しかしていませんが数学これから頑張ります」と答えました。先生の顔色が変わり,ものすごく怒られて「君の状態では新しい結果を出すのに一年半はかかる」と言われ,とにかく30分ほど,一対一で研究指導をして下さいました。その時,私は初めて勉強とは全く異なる研究の雰囲気,波動のようなものを感じ,研究はこうするのか,と思いました。
5.数学研究の心構え
佐籐先生は「すぐ追い返したい所だが研究室を一つ使って良いから一週間したら帰りなさい」と言われ,更にオロオロする私に研究の心構えを教えて下さいました。「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」と言われ,追いつめられた私は,まさにこれを実行しました。すると一週間で未解決問題の一つが解けてしまいました。佐藤先生に見せに行くと「君に出来る訳がない。どうしても正しいと言うなら,これが成り立つ筈だから確かめてみなさい」と言われ三日かけて再び持っていくと,それからは佐藤先生は毎日6時間以上に及ぶ個人指導を始めて下さり,私をグイグイ引き上げて下さいました。
6. 追記
このおかげで,二ケ月後には未解決部分をすべて解決して,既約概均質ベクトル空間の分類を完成する事が出来ました。東京へ戻ると,岩堀長慶先生が,「よくつぶれなかったね。佐藤君のところへ行って,つぶれた人もいるのだよ」と言われ,つぶれそうな気持ちに何とか耐えられたのは,武術による気力のおかげだと思いました。もちろん一般的に体力があれば数学が出来る,という訳ではなく,私の場合は,集中力と持続力の鍛錬で得た武術的エネルギーを,佐藤先生のもとで,うまく数学的エネルギーに変換出来た,という事だと思います。
ところで最近,25年前に書いた6節(才能と素質)を読み返すと,「学部4年のとき指導教官の伊原先生に『君は数学の才能が無いから別の道を探しなさい』と言われて,ショックを受け,・・」と書いてあり,冷静に振り返って,情けない事を書いていることに気が付きました。
学部4年の頃は武術に夢中で,数学の勉強は全く不十分でした。セミナーその他で私を客観的に見ていた伊原先生からすると,当然の事を言われただけでした。でも当時の私は,自分を客観的に把握出来ておらず,それまでの「自己評価や期待」と「言われたこと」との落差にショックを感じたのです。
しかも,その後も色々なことで伊原康隆先生には大変お世話になっているにも拘わらず,自分本位の感情を正当化していた為に,臆面もなくこんな書き方が出来た自分の浅はかさを知って恥ずかしくなりました。伊原先生には勿論のこと,誤解させてしまった読者にも大変申し訳なく思い,この追記を書かせて頂く次第です(2021年8月)。
(きむらたつお 数論・代数幾何学専攻)
(イラスト:吉垣 武)